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はじめに - インターネットの普及とその影響

現在、インターネットは、地球をくまなく被う規模に拡大し、地球上の通信総 量において、電話を越える規模に成長しました。このように、計算機ネットワー クは、すでに私たちの現代的生活のために欠かすことの出来ない基盤となって います。日本においては、携帯電話がメール端末機能を有したことによって、 電子メールの利用が爆発的に増大し、安価な遠隔コミュニケーション手段とし ての地位を確立しています。

こうした計算機ネットワーク規模の拡大は、計算機ネットワークの研究者によっ てもたらされてきた多くの技術革新に支えられています。彼らは、インターネッ トが現在のような規模に成長する遙か昔、誰もが電話とファックスさえあれば 電子メールなどは必要無いと疑わなかった頃から、ネットワークを普及させる ことの正しさを信じ、研究に身を捧げてきました。その結果、計算機ネットワー クは地球をくまなく被う規模へと拡大し、私たちの生活を便利なものと変えま した。私たちは、部屋に居ながらにして、地球の裏側の友人と会話をすること ができるようになりました。また、インターネットは、メディア資本によるメ ディアの独占から人々を解放し、距離と時間を越えた通信を可能としました。

ところで、インターネットに限らず、ファックスや携帯電話の普及過程を観察 すると、こうしたコミュニケーション技術の普及には、技術の普及と利用者数 の増大との間に相乗効果が見られることをご存知でしょうか。たとえば、自分 一人がメールを使い始めたとしても、誰ともやりとりは出来ませんが、友人や 知人の多くが同時に電子メールを利用するようになれば、自ずから、利便は向 上します。つまり、ネットワークに接続されている相手が増えることは、相互 にコミュニケーション可能な相手が増えることを意味しており、ネットワーク の価値の増大に直結しているのです。
これは、計算機ネットワークにとっても同じことで、通信可能な計算機が増大 すればするほど、計算機ネットワークの価値も増大することになります。そこ で、計算機ネットワークの研究者は、さまざまなネットワーク機器の相互運用 可能性を高め、あらゆる計算機をネットワーク化することにより、研究対象で ある計算機ネットワークの価値そのものを高めることができました。
そして、計算機ネットワークは、この単純なしくみ、つまり、規模の拡大に伴 い、それ自身の価値がさらに高まることによって、世界に存在するすべての計 算機を接続してしまうかのような爆発的な勢いで、この10年間、拡大を続け てきたのです。

しかしながら、ネットワークが社会へと浸透して行く過程で、この新たな通信 技術を利用した犯罪や、プライバシーの問題など、今までになかった新たな問 題が生じることになりました。また、一部ファシズムの宣伝に利用されたり、 情報格差のような新たな格差を生み出すような危険性も、多く指摘されるに至 りました。
このように、計算機ネットワークの規模の拡大に伴って、計算機ネットワーク の社会における重要性が高まっていった結果、計算機ネットワークにまつわる 問題は、純粋に技術的なものから、次第に、社会的な問題へとシフトしていく ことになります。こうした問題の性質の変化に応じて、計算機ネットワーク研 究は、IPアドレスの枯渇やルーティング情報の爆発といった技術的側面だけで なく、広く社会的、法律的な問題の解決を迫られるようになるようになりまし た。そして、そのために、問題解決を志向した学際的な研究分野の確立が求め られることになりました。

学際的研究分野の必要性と問題性

このように、計算機ネットワークの抱える問題が、技術的問題に留まらないよ り社会的なものとなると、計算機ネットワーク研究者が漠然と抱いてきた「ネッ トワークを普及させることは、疑いようもなく正しいことである」という前提 自体が極めて問題を抱えた姿勢であることが明らかとなります。なぜなら、そ もそもネットワークさえなければそのような問題は生じなかったわけですから、 問題が生じたのであればネットワークの普及を止めれば良い、という議論が生 じて当然だからです。

ネットワークの拡大が問題を引き起こした直接の原因である以上、ネットワー ク研究者は、ネットワークの普及そのものを正当化しない限りは、これ以降の 議論を組み立てることは出来ません。そして、その合理的根拠に基づいた正当 化なしには、学問的な態度のもとに研究を遂行して行くことが難しくなります。 すなわち、計算機ネットワーク研究は、万人が納得することが出来る問題解決 を示すことが出来なくなってゆくでしょう。それは、計算機ネットワーク技術 の発展にとって、とても好ましくない状況です。こうして、計算機ネットワー クの社会への普及に伴って、計算機ネットワークの研究者は、学際的な研究分 野と、その学問的な正当性の確立という課題を背負うことになります。

では、この計算機ネットワーク研究における学問的基盤は、そもそもどこに見 出せば良いのでしょうか。計算機ネットワークの研究は、自然の仕組みを明ら かにして行く物理学や生物学といった自然科学とは大きく異なるものです。ま た、問題解決を志向することにおいて、経済学や社会学といった社会科学とも、 文学や哲学といった人文科学とも方向性を異にします。はたして、実践を志向 する計算機ネットワーク研究において、疑いようのない学問的基盤などという のものは存在しうるのでしょうか。

これが、学際的計算機ネットワーク研究が抱える根本的な研究方法論上の問題 となります。

学際的計算機ネットワーク研究における研究方法論 - 一つの試論

上述の問題にたいして、私は、普遍的な価値から演繹的に計算機ネットワーク 技術の必要性と求められるあり方を導き出す、というアプローチを提案してい ます。

近代以降の社会において、「生命の尊重」という価値観は、極めて普遍的なも のです。言い替えれば、この「人を殺してはいけない」という価値観は、文化 を越えた普遍性を有しており、万人が合意することが可能なものでしょう。
ところで、母体が妊娠・出産に耐えることの出来ない健康状態にあったとき、 母体の生命の尊重のために人工妊娠中絶を行うことを考えてみて下さい。生命 の尊重は望ましい価値観であるために、ある文化圏では、どのような理由があ ろうとも、胎児の生命を絶つことになる妊娠中絶を決して認めることはありま せん。一方で、ある文化圏では、母体に妊娠中絶の選択権を認めています。こ の例からも、「生命の尊重」といった抽象的な価値は、万人が認め得る価値と は言いつつ、実は、具体的な問題の判断基準とはなり得ないのではないかとい う疑念が生じます。
また、個人個人における価値判断と、社会的な水準での価値判断も、しばしば 相反しがちです。たとえば、命の危険にさらされている二人の感染症患者の前 に一人分の特効薬がある場合、はたしてどちらの患者の治療がより優先される べきでしょうか。この問題にたいしても、「生命の尊重」という抽象的な価値 判断は、おそらく何の答えも示してはくれないでしょう。いくら個人の生命を 尊重する為といっても、それにより他人の生命を危険にさらすわけには行かな いことは自明だからです。
したがって、「生命の尊重」という価値は普遍的と言えるかも知れませんが、 研究領域や技術の根拠とするためには、より具体的かつ社会レベルでの普遍性 へと転換するための論理的な操作が必要となることが分かります。

そこでまず、生命を尊重するために要求されるあらゆる問題を、仮に、医療資 源の最適配分という問題に集約することにしましょう。ここでは、「医療資源」 を、とりあえず社会の諸成員の生存に関して必要とされるありとあらゆる資源 であると定義しておきます。
すると、「生命を尊重」するという価値観を最大限に満足させるためには、医 療資源の最適な配分を達成する必要が生じます。生命の尊重という概念は極め て抽象的な価値観ですが、この医療資源の最適化という概念を持ち込むことに より、抽象的な価値判断を実体を伴った概念へと転換することが出来ます。同 時に、個人レベルでの価値判断を、社会レベルでの価値判断へと転換すること ができます。
さて、では、医療資源の「最適」な配分とは、どのような状態を指すのでしょ うか。そのためには、資源の分配における公平性についての議論が必要です。 しかし、誰もが自分や家族の生存が重要である以上、誰もが納得しうる公平な 資源配分を定義することは極めて困難です。そこで、ここでは、「最適配分」 の定義の問題に立ち入ることは留保し、仮に、公平な資源配分が存在するもの と仮定しましょう。
以上の仮定に立った場合、実は、どのように「最適」を定義したとしても必要 とならざるをえない条件は、「最適」の定義にかかわらず、満たされなければ ならないことになります。こうして、あらゆる医療資源に関する情報を交換す る普遍的な基盤として、普遍性を有した情報交換基盤たる計算機ネットワーク を正当化することが可能となります。

さて、ここで、抽象的な議論を離れ、より具体的な例を用いて考えて見ましょ う。
以前、とある医師が、「私は、少しでもリスクがあるのであれば、必ず1日で も入院してもらうようにしています」と仰っておられました。たしかに、大学 病院内であれば、たとえ夜中にどのような事態が起こっても、確実な対応がで きるでしょう。しかしながら、この場合、よりリスクの高い患者が現われ、入 院できなかった場合はどうなるのか、という疑問が生じます。
あらゆる資源は有限ですから、誰か一人を救うために資源を利用する際には、 その患者がその資源をもっとも必要としているという裏付けが必要なのではな いかと思われます。言い換えれば、誰が、どこで、なにを必要としているのか。 そして、どのようなものが、どこにどれだけ余っているのか。こうした情報を 共有し交換することができなければ、合理的な資源の配分はできません。計算 機ネットワークは、あらゆる資源を接続する潜在能力を有していることから、 まさにこの目的に適う基盤となるでしょう。

このように、医療資源の最適配分という論理を持ち込むことにより、私たちは、 計算機ネットワークの本質的な意義を見いだすことが可能となります。そして、 計算機ネットワークの応用研究における本質的な課題を、できるかぎり多くの 資源をネットワーク化したうえで、それらを効率的、合理的、公平に配分する ことにあると設定することが可能となります。

学際的計算機ネットワーク研究における研究課題

さて、では、"人間の生存に必要なあらゆる資源にかんする情報を交換するこ と"を目的とした基盤技術は、具体的に、どのような課題を克服していかなけ ればならないのでしょうか。実は、現在の計算機ネットワーク技術はまだまだ 未完成であり、現実に数多くの問題を抱えています。

たとえば、有名なホームページなどをアクセスすると、反応の早い時間帯と極 端に遅い時間帯があることに気づかれると思います。現在の計算機ネットワー クは、一つの通信回線を複数の利用者で共同利用し、これによって通信コスト を削減しようとしています。結果として、複数の通信が相互に悪影響を及ぼし てしまい、通信品質を一定に保つことができないのです。
この問題は、本質的には、通信資源の最適配分に関する問題です。現実世界に おいてはあらゆる行為が資源量により制約を受けており、通信もまた、さまざ まな資源により制約を受けています。したがって、資源の最適配分を目的とし た基盤技術は、その目的を達成するために、まず、通信における資源制約とい う問題にたいする解決を迫られることになります。
たとえば、通信回線を用いた遠隔医療という技術は、専門医という医療資源を 通信によって遠隔利用しようとするものであり、医療資源の適正配分を目的と した技術です。しかし、一般的にかなりの高帯域な通信回線を必要とします。 しかし、そのような高性能な通信回線は、一般的に普及しておらず、また、高 価です。これが、通信における資源制約の問題です。

この通信の資源制約という問題を解決するためには、大きく分けて二つのアプ ローチがあります。一つは、通信資源の絶対量を増やすアプローチ。もう一つ は、限られた資源を有効利用し、それぞれの利用者に合理的に配分しようとす るアプローチです。
前者は、言い換えれば、より多くの資源を購入することで問題の解決を図る方 向性です。しかし、そもそも資源の絶対量が少ないような場合、たとえば、遠 隔医療が可能な通信回線を購入する予算が無い場合や、高性能な通信回線どこ ろか、一般の電話回線すら利用できないような地域においては、このアプロー チはまったく無力でしょう。
そこで、少ない資源を有効利用し合理的に配分するという新たなアプローチが 必要となってきます。たとえば、より重篤な患者の情報交換を優先するような 通信技術があれば、貧弱な通信回線しか存在しないような地域であっても、情 報の交換が可能となるでしょう。

このように、限りのある資源を合理的に配分するためには、どの通信が優先さ れるべきかを、計算機ネットワークそのものが判断しなければなりません。こ れを、通信の品質保証(Quality of Service: QoS)と呼びます。こうした制御 は、技術的難度が高いものの、一度確立してしまえば、きわめて長い間にわた る利用が可能なものです。また、国内の僻地や発展途上国といった資源の絶対 量が少ない地域においても、直接役立てることができる、普遍性を有する基礎 研究です。以上の議論に基づき、私は、学際的計算機ネットワーク研究におけ る研究課題を、通信における公平な資源配分技術の確立にあると考えています。

おわりに

計算機ネットワークは、もはや私達の生活に欠かすことの社会基盤となりまし た。しかしながら、この普及に伴って、単一の学問領域においては解決が困難 な様々な社会的問題が生み出されることになりました。計算機ネットワークの 研究者は、こうした問題に対して、情報技術の可能性と危険性の双方を視野に 入れつつ、絶えず実践的な解決策を見いだして行かなければなりません。

この様は、医学が、自然科学として生命体としての人間における普遍的な原理・ 真理を解き明かすことを目的としている一方で、人間をより実存的に捉え、生 きた個々人の治療をめざすartとしての立場を包含していることに似ています。 しかしながら、個々の治療を患者に対しての説明と同意によって正当化しうる 臨床医学と異なり、生きた社会を対象とした計算機ネットワーク研究は、社会 から同意を取る制度や契機を有していません。したがって、計算機ネットワー クにおける現実的な問題の解決を指向した研究者は、個々の研究活動、そして 研究領域全体の正当化に際して、既存の諸学とは異なる新たな論理を見出さな ければなりません。

この問題に対して、学際的計算機ネットワーク研究は、普遍的な価値を設定し そこから技術への要求を演繹的に導くことで正当化されうる可能性があります。 その際、医療資源の最適配分という概念を持ち込むことで、抽象的な価値観を いかにして具体的な技術要求へと転換するかという問題を解決しうることが示 唆されます。こうした試みは、工学の応用分野といった不確かな位置付けにあ る学際的計算機ネットワーク研究を、学問的厳密さを兼ね備えた一つの自立し た研究領域として確立しうる可能性を秘めています。

こうした研究方法論は、伝統的な自然科学や工学と比して、極めて特異な正当 化を経たものです。一方で、この方法論は、計算機科学的なアプローチと社会 諸科学や医科学を架橋し、また、基礎技術研究や応用研究、実証研究といった 様々な研究活動に対し、統一的に議論の基盤を提供することが出来ます。たと えば、私の博士論文、Virtualization of Network I/O on modern operating systemsは、その一つの実証です。こうした試みの当否は、幅広い分野の研究 者による議論と実際の研究成果による経験により、検証されてゆく必要がある でしょう。どうか忌憚ない御意見、御批判をお寄せ下さい。

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